1980年代初期に日本のメタルシーンに大きな影響を与えたアーティストはマイケル・シェンカー・グループ、ゲイリー・ムーア、レインボー、ヴァン・ヘイレンなどである。現在のJ-POPにおいてもマイケル・シェンカーやゲイリー・ムーアに影響されたアーティストは多く、1990年代初期のビーイング系音楽にはそれらしい泣きのフレーズや叙情的なメロディがふんだんに盛り込まれていた。
日本のバンドでは1981年に衝撃的なデビューを遂げたラウドネスが1983年からアメリカツアーを行ったり、1976年デビューのBOW WOWが1982年にレディング・フェスティバルに出演したり、日本でも若いヘヴィメタルバンドを盛り上げるために音楽雑誌のYOUNG GUITARやロッキンfが積極的にメタルフェスを開いていたりと日本でもヘヴィメタルは盛り上がりを見せた。
1980年代中期(速弾きブーム) [編集]
アメリカでのLAメタルブームは日本のバンドにも影響を与え、日本のバンドの殆どがLAメタル系のような派手なルックスになった。その中でも特に派手だった44マグナムの人気は高く、中でも美形ギタリストの広瀬“JIMMY”さとしの女性人気は尋常ではなかった。
また、高崎晃、ジェイク・E・リー、ウォーレン・デ・マルティーニ、ジョージ・リンチ、山本恭司らはギターヒーローとしてギター少年の憧れの的となる。その後登場した当時スティーラーだったイングヴェイ・マルムスティーンの出現は、速弾き戦国時代突入の幕開けとなった。
1980年代中期と言えば1984年10月にシンコー・ミュージック・エンタテイメントから創刊された日本初のヘヴィメタル雑誌「BURRN!」の誕生は当時のヘヴィメタルファンには「待ってました!」と言わんばかりの登場であった。当時はインターネットもないためヘヴィメタルの情報が中々入ってこない時代でもあり、日本初のメタル雑誌の登場は更にメタルシーンを盛り上げる結果となった。
1984年には日本初の巨大ヘヴィメタル・フェスティバル「スーパー・ロック '84 イン・ジャパン」が西武球場等の各球場で行われ、ホワイトスネイク、マイケル・シェンカー・グループ、スコーピオンズ、ボン・ジョヴィ、アンヴィルらが出演。マイケル・シェンカー・グループ出演時におけるレイ・ケネディ(Vo)の、臨時参戦とは言えカンニング・ペーパーを見ながらの中腰で歌う年寄りのようなステージパフォーマンスには批判が集中した。尚、この時のイベントを収めたビデオは後に商品化されたが現在は廃盤であり、DVD化を待ち望んでいる声もある。
1980年代中期(ポップメタルへの反逆) [編集]
メタリカなどのスラッシュメタルバンドがアメリカのアンダーグラウンドシーンで人気を獲得する中、日本でもポップメタルに反逆する第二世代と呼ばれるバンドが次々と登場し、その中でもFLATBACKERやANTHEMは音楽雑誌で第一世代のバンドに毒を吐き、過激な演奏でコアなファンを獲得した。同時期にデビューした聖飢魔IIはBURRN!誌では0点という記録に残る評価を受けたが、ヘヴィメタルファン以外にも支持されていったバンドである。
1985年にはLOUDNESSが世界デビューを飾り、1987年にはVOW WOWがイギリスを中心に活動を開始した。また、1980年代の日本のメタルシーンはインディーズを中心に盛り上がりを見せ、その中には後にモンスターバンドと化すXの姿もあった。特にXは44マグナム以上に派手なルックスかつ凶暴なパフォーマンスで少しずつ人気を得ていた。また、当時のXは日本のヘヴィメタルシーンをあざ笑うかのようにテレビ番組の出演を繰り返していた。(詳しくはXの項目参照)
1980年代後半(バンドブーム) [編集]
1987年のGuns N' Rosesの登場により、日本のメタルシーンにおいてもGuns N' Rosesのフォロワーが登場した。1989年にデビューしたXについては、音楽面の将来性で多くが期待を持ったものの、TV等のメディア登場初期に見せたやりたい放題のパフォーマンスに反発、幻滅していった者も少なくない。
また、Xの成功と影響を受けてその後次々とデビューしたバンドには、楽曲や演奏技術は二の次でヴィジュアルとパフォーマンスばかりを過度に重視する、すなわち本来のバンドとしてのスタンスからさえ大きく逸脱した方向性を見せたものさえ出てくる始末であった。これらは若年女性層からの熱狂的な支持こそ受けていたが、ヘヴィメタルのプレイヤーやファンの間には、ヘヴィメタルのイメージに対して大きな誤解を与えるイロモノ( =「本来のその中心から外れているもの」の意) として強い不安感と嫌悪感を生む事になった。
事実、Xの活躍はめざましく、テレビや新聞、女性誌といった一般マスコミにも取り上げられて知名度を大きく上げる事となったが、これは同時にXのスタイルがヘヴィメタルのパブリック・イメージとして急激に浸透してしまうという事態を引き起こすことに繋がった。21世紀に入って現在ですら20代後半~40代前半の人たちからはこの当時のXのイメージに基づいた、ヘヴィメタルに対する偏ったイメージに根ざした発言が少なからず聞かれるところである。
しかし、それまでの日本のヘヴィメタルでは、歌謡曲と同様に一般マスコミから取り扱われる程の大ヒットを記録した曲は無く、従ってヘヴィメタル自体が日本の音楽史にあってはメインの売れ線からは一貫して外れた位置に置かれていた。その為ジャンル全体の情報量が不足している中、ヘヴィメタル分野で事実上初めて一般テレビマスコミにまで注目され話題性を提供できたのが、正統派ヘヴィメタルを好むプレイヤーやファンがイロモノ路線として嫌っていた、聖飢魔IIやXなどの見た目のインパクトも重要視し、音楽よりも視覚的なパフォーマンスでマスコミから扱われていたバンドであった。実際Xなどはメジャーレーベルで発売したCDで数字を叩き出すまでは『ちょっと過激な音楽もできるバラエティタレント』並の扱いしかされていなかった。かくて彼等がヘヴィメタルの見た目の象徴として扱われた為、これらの偏ったイメージが一般に定着してしまったという点は否めない。
また、視聴率至上主義のテレビマスコミにとっては、それまで巨大ヒットを生み出さなかったヘヴィメタルに対して、そもそも「ロック音楽のイロモノ」程度の認識しか無かったという点も大きい。他にも当時の「BURRN!」などの編集スタイルなどの影響もあり、当時のヘヴィメタルのミュージシャンの多くには音楽一筋というイメージを最重視し、テレビなどでタレント的な活動もするヘヴィメタルやロックのミュージシャンを蔑視する風潮があったと言われており、一般マスコミの持つ大衆への影響力への軽視が招いたツケであるという指摘もある。
いずれにせよ、この1989年に始まったバンドブームにより、派手な見た目やパフォーマンスを重視し演奏を軽んじたバンドが非常に増えた。それらのバンドの多くがXと同系統のファッションという事から「ヘビメタ」と見なされた事により、普通に音楽性を重視して活動していたメタルバンドはその煽りをくらい軽視されるという結果になっていった。こうした経緯から、1990年代には日本のヘヴィメタルは少しずつ、しかし、確実に衰退していくこととなる。
挙げ句には「BURRN!」でさえ人気投票のBORE部門には「ヘビメタの流行とイカ天ブーム」がある程、当時のヘヴィメタルファンにはヘビメタは差別用語とみなされてしまっている。その後、インディーズでヘヴィメタルバンドとして活動していたバンドのほとんどがヴィジュアル系へと移行した。またメジャーデビューに際しての所属事務所やレコード会社の販売戦略面からの要求で、音楽性も含めて移行をせざるを得ない状況に追い込まれていったものも多い
1990年代 [編集]
世界的にヘヴィメタルシーンが力を失ってゆく中、日本国内ではドイツや北欧出身のメタルバンドを中心に依然として人気は根強く、ハロウィンなどのバンドは安定した人気を持っていた。1989年にデビューしたMr.Bigや1993年デビューのアングラは日本で高い評価を受け、特にMr.Bigは女子高生の支持を得るなど好評を博し、ポール・ギルバートはギターキッズの注目の的であった。1988年以降、1992年、1994年、1995年にはイングヴェイ・マルムスティーンが日本武道館でのライブを成功させるなど、1990年代以降日本で好調な人気を得て、それ以降も日本を重要なマーケットとして位置づけて、活動している者も少なくない。
しかしこれは海外のバンドに限った事であり、日本のバンドはXの影響を受け、雨後の筍の如く出現してくるヴィジュアル系バンドの全盛の影に完全に隠れてしまい、冬の時代どころか氷河期に陥っていた。それまでの有力バンドは1989年に44マグナムが解散したのを筆頭に、1990年にVOW WOWとEZOとDEAD END、1992年にANTHEM、1994年にアースシェイカーと次々と解散してゆく。わずかにOutrageとUnitedが日本のメタルファンからも根強い人気を誇ったが、メジャーな成功を収めたとは言い難かった。
また、このHM/HR系の斜陽化とバブル景気後の業態再編や利益性を重視する企業体質への変化の過程の中で、メジャーレーベルではこの時期にバンド整理を実行したものもあり、契約解除の理由はセールス不振やバンドメンバーのスキャンダルなど色々ではあってもメジャー契約を打ち切られ、新たなる契約先を求めて数多くのバンドが音楽業界をさまようことになった。また、この時期に解散に追い込まれたものも少なくない。唯一アメリカで安定した活動を続けるLOUDNESSにも全盛期の力は既に無く、メンバーチェンジを繰り返しながら2000年のオリジナルメンバー再集結までは細々とした活動が続く事となる。そして、本来ならばこれらの後続となるべき新進のメタルバンドについても、『ヘビメタはダサい』『時代後れ』などの理由をつけられて、メジャーデビューどころか、もはやそれ以前の段階の演奏の場の確保さえまともにできない者すら出るという有様で、演奏の場の確保を目的にビジュアル系やそれに近いスタイルへの転換を余儀なくされたケースもあった。
一方、ヴィジュアル系バンドの開拓者として別格の存在になったXについても、セールス面でこそ好調であったがその活動は順風満帆とまでは言えなかった。1992年にベースのTAIJIを解雇すると同時に名前もアメリカの同名のバンドとの混乱を避ける事を目的にX-JAPANと改めた。改名後はYOSHIKIの体調面の問題(頚椎椎間板ヘルニアや神経性無気力症候群など)もあってか初期の様な激しい曲は少なめになり、バラード主体となった。そして1997年にヴォーカルのTOSHIの音楽性の方向の違いによる脱退を機に2000年まで一時解散のはずだったが、ソロとして好調に活動していたhideが翌年急死してしまったため、全盛期のメンバーによる再結成は不可能となってしまったが、2007年にはYOSHIKIの口から「2007年には復活する」との宣言がなされ、2008年3月には東京ドーム公演を行っている。また、TAIJIこと沢田泰司もXを解雇された直後こそLOUDNESSなどに参加するものの、後に著しい低迷に陥り、一時はホームレス同然にまで転落していったのはよく知られるところである。
他方、企画色の強いモノではあったが、1996年にはヘヴィメタルとアニメソングを軽いノリで融合させたアニメタルがデビューし、マスコミが注目した他、カラオケ需要なども発生したことからヘヴィメタルとしては記録的なヒットとなった。これが数年間注目されなかった日本のメタルシーンに再び脚光を与えるきっかけとなる。その後1998年にSEX MACHINEGUNSやConcerto Moonがデビュー。特にSEX MACHINEGUNSに関しては、かつてのXのように「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」、「堂本兄弟」、「パパパパパフィー」などのバラエティ番組にも数多く出演し、ヘヴィメタルをよく知らない世代の人々にもその名を轟かせた。これにより全盛期ほどではないが、多少の活気を取り戻したといえる。
2000年代 [編集]
2000年代に入り、一時衰退していたヘヴィメタルが様々な形で再びロックの本流としての地位を確立してきた。最もヘヴィメタルだけではなく、ヘヴィメタルを中心にアレンジしたニュー・メタルのジャンルも盛り上がりを見せ、1980年代ブームをも取り入れたものが出てきている。しかし、アメリカン・ミュージック・アワードでヘヴィメタル部門が廃部されるなど、現在はまだ1980年代ほどの盛り上がりにまでは達していない。これには、ヘヴィメタル以外のジャンルのロック(ガレージ・ロックなど)が盛り上がりを見せている事も絡んでいる。
また、ドイツや北欧を中心とするヨーロッパ地域においては、1980年代ブームとほとんど代わりようが無いようなヘヴィメタルが、現在もロックの本流として地位を確立している。
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